都市を仕事から遊びの場に
高木悠里(大阪市立大学)
働き方の変化と働くことの意味
2019年の末から始まった新型コロナウイルスのパンデミックは社会に大きな影響を与えた。リモートワークや2地域居住の進展など、今後も「働き方改革」は進むだろう。また、企業の体力低下や個人の自己実現等の影響を受けて、副業を含め、多様な働き方は既に広がりつつある。
一方、近年は欧米諸国でベーシックインカム(BI)の社会実験が広がっているが、この背景にはAIブームがある。AIによってこれまでの雇用が減り、格差が拡大するので、最低限の生活を保障するためにBI導入が不可欠になるのではないか、という考え方である。
このような社会の動向を憂うのではなく、「働くことの意味」を考えるチャンスと捉えたい。2040年には、多様な働き方が選べる社会になっているだろう。一方で、BIの導入等を含めて、「働かなくても良いじゃない」という時代になっているはずである。
どこでも増える隙間
今後も人口減少や高齢化は進み、2040年には、空家・空地、担い手不足の商店街や空店舗、地方部における管理されていない田畑など、都市内には様々な「隙間」が増えるだろう。一方で、人口減少の影響をさほど受けないと思われる都心部においては、都市開発諸制度を適用した公開空地などの公共的空間や、道路再編によって開放され使いやすくなった道路空間などの公共空間が今後も増えるだろう。
未来の方向性
以上の社会的背景を踏まえると、都市の隙間の使い方には、以下の2パターンがあるように考えられる。
(パターン①)
「多様な働き方の実現」によって、都市からあふれ出た人々が隙間で仕事(事業)を行うような方向性である。オフィス的な活用だけでなく、スモールビジネスの展開(趣味活動の成果の販売、学び(スキル)の提供etc. )などが考えられる。※従来の延長
(パターン②)
「働かなくなくても良いじゃない」という人は、労働から解放されたときに、何をするのか。このような人は、都市にどのように関わることができるのだろうか。彼らの中から、都市に積極的に関わる人が出てくるのではなかろうか。彼らはどんなライフスタイルを描くのだろうか。このような考え方が、本論考の出発地点である。
「都市や地方の隙間を使う」ことを職能とする
「都市や地方の隙間を使う」ことは、土着的であり時間も要する。一見、デジタル社会と相反するところであるが、デジタルでは解決できない、人が介在しないと解決しない問題である。2040年には、「働かなくても良いじゃない」という人の中から、隙間を使うことを職能にする人が出てくるだろう。おそらく最初は「パフォーマー(リアル向け)」や「Youtuber(デジタル・バーチャル向け)」といったスタイルで、隙間を使う人が出てくるだろう。
「働かなくても良いじゃない」なのだから、何もプロフェッショナルである必要はない。労働から解放されて、「なんとなく外に出たい」「地方に行ってみよう」といった人が、何かを表現する場として、都市や地方の隙間を使い始める。そういった活動と地域をつなぐ「都市アクティビティ・デザイナー」や、実際に地域で隙間を使う「都市アクティビティ・プレイヤー集団」(空いている場所を使っていることが職能)のような存在が確立されていくのではなかろうか。
ライフスタイルのケーススタディ
|都市で生まれたプレイヤーが地方を巡業する。デザイナーが地方とプレイヤーをつなぐ
- 都市で様々なスキルを学んだ人が地方へ巡業し、現代版の家守・なんでも屋さん(管理者)、賑やかし屋さん的な存在になる。1つの地域でスローライフを満喫してもよし。旅芸者的に他の地域を巡業してもよし。何かを起し続ける、遊び続ける。
- 新しい「都市農村交流」が実現できる。休日だけ交流するほど希薄ではなく、しかし本業として交流(仕事としてくるor移住)するほど濃密ではない。誰かが緩やかに関わり続ける。
- 受け入れる地方側は、適度な距離感でプレイヤーと関わる。困りごとがあればプレイヤーの力を借りて、問題を解決。行事や祭りごと、農作物の収穫期などは手伝ってもらう。
- 何もないときは、プレイヤーは隙間で生活し、何か表現して(遊んで)いるかもしれない。地方の人は、それを見ると、なんとなくさみしくない。
都市アクティビティ・デザイナー/プレイヤーを支える制度
都市や地方の隙間を適切に管理し魅力的に活用することの公共的価値が重視され、都市アクティビティ・デザイナーや都市アクティビティ・プレイヤーは公共的位置づけを得る。
地権者や住民組織は都市空間の維持・活性化を「自分ごと」として捉え自ら費用を負担し、その都市空間に最適な活動が展開される。活動により収益が生じる場合は、都市アクティビティ・デザイナーから地権者や住民組織と、都市アクティビティ・プレイヤーへ収益が配分される。