DIY的マネジメントで都市インフラの密回避

福本 優( 兵庫県立 人と自然の博物館 )

僕の夢が実現できる郊外

まず、本論考を発想するに至った2040年のライフスタイルについてお示ししたい。このライフスタイルの主人公は、地元工業高校に通う高橋香里(17歳)である。父子家庭で育った香里は、大手電力会社に勤める父の影響か、小さな頃から時計や掃除機等、身の回りにある機械に興味を持ち、なんでも分解してしまう女の子だった。遊び場は、自分が暮らすNTからすぐ近くの神社の境内で、秋祭りで集落からNTにまで曳いて回る神輿を見ると今もわくわくした気持ちになる。工業高校で、再生可能エネルギーに興味を持ち大学で勉強を続けるか、就職しようか悩んでいる。まだまだ止まらない気候変動は、2040年でも大きな課題であり、自分が学んだ技術で地球規模の課題に向き合ってみたいと思う一方、毎日1時間もかけて都心に通いながら、男手一つで私を育ててくれた父の元を離れることが最良の選択なのかということが悩みの原因であった。

そんな時に担任から勧められたのが、再生可能エネルギー事業を中心に、コミュニティバス運行や不動産、リノベーションなどを行っている地域公社であった。太陽光発電やバイオマス発電、小水力発電などローカルにある資源を活かしエネルギーミックスを試みている公社の姿勢は、工業高校に行き芽生え始めた自分の夢を叶えながら暮らし続けられるのではないかと胸を躍らせている。最近、新たな公社事業として、街路が広場的な場に転用されて、地域公社が太陽光発電を始めたらしく、メンテンナンスに関わっている技術者の方に情報収集も含め、一度話を聞きに行ってみようと思っている。

オーバースペックな郊外ニュータウンのインフラから考える

本稿の舞台であるニュータウンは、人口拡大期に膨張する都市の人口の受け皿として、また、悪化する都市の住環境からの避難地として開発された。開発から半世紀近くの時間を経て人口減少社会となった日本において、再生の対象として多くの取り組みが実践されている。大規模な住宅都市の開発は、一時に大量に開発するという特徴から、住民の偏重した年齢構成を生み出しただけでなく、道路、上下水道など都市インフラの老朽化も一斉に引き起こすこととなる。一方で、自治体の財源逼迫は周知のことであり、今までと同様の方法で都市インフラを整備し続けることは難しく、2014年には国土交通省でインフラ長寿計画(行動計画)が策定され、将来にわたる必要なインフラ機能の発揮に向け、メンテナンスサイクルを構築し、継続的に発展させるための方策が示されている。1)さらに、2020年には、国土交通省社会資本整備審議会道路分科会基本政策部会により道路政策ビジョンとして、「2040年、道路の景色が変わる」が示され、その中では「「楽しむ移動」に加え「楽しむ滞在」も増加する。人が滞在したり休憩したりできるビュースポットやベンチ、オープンカフェ等が道路上に現れる。人のための空間が拡大し、公園と一体化した道路も出現するなど、人がより外出したくなる道路空間が生まれる。国土面積の約3%を占める道路空間が壮大な「アメニティ空間」としてポテンシャルを発揮することにより、まちそのものの景色も変わる。」と移動だけの空間としての道路からの脱却等、課題への対応だけでなく社会の転換に応じた道路の在り方が示されている2)

本稿では、こうした道路空間の変革を踏まえ、まちのスケール、特にニュータウン(以下、NTとする。)という郊外住宅地のスケールで見た時に、2040年のまちの未来はどのような姿となっているのかについて、論考を進める。

高密度なニュータウンのインフラ網

日本のNT開発では、多くの場合、面的な一定程度の広がりを持って、都市施設を効率的に計画してきた。例えば、川西市にある戸建て住宅による開発を中心としたNT群を航空写真で見てみると、千里NTなどの周囲の都市の開発が進むことで都市化の波に飲み込まれたNTとは違い、その面的に広がった計画範囲が良くわかる。

日本のNT開発の黎明期は、1960年代で千里NT、多摩NT、高蔵寺NTをはじめ、明石舞子団地や香里団地などNTと冠してはおらずとも大規模な面的開発が進んだ。その後もNT開発は進み、現在でも大阪では彩都や箕面森町等の開発が行われている。多くのNTが計画された時代背景を考えると、モータリゼーション全盛期であったし、経済・人口は拡大し続ける右肩上がりの社会であった。都心だけでなく郊外でも都市化が進むという空間的な変化だけでなく、核家族化、個を尊重する社会へと社会環境も変化していった。その変化する社会の中で計画されたNTは、誰もが車で自宅に寄り付けて、個人が所有する宅地と行政が管理する道路、公園、緑地でほとんどが構成され、地区内に集約された商業エリアが計画された。合理的で高規格な都市インフラを有しているのがNTと評価することもできるが、見方によれば、それ以前の社会が有していた里山、井戸端等の“ムダ”な共(コモン)空間を排した合理的な計画が実施され、結果として、ネットワーク状に巡らされた道路網に電気、ガス、水道等の都市インフラが設置された過密インフラ都市が誕生したともみることができるのである。

【写真】航空写真でみるNT

|共(コモン)なインフラと都市の姿

では、共(コモン)空間を持つ都市の姿は非合理的なものであったのであろうか。

例えば、日本を代表する都市である大阪船場の太閤(背割)下水を事例にとって考えると、そのマネジメントはまさに共(コモン)であった。下水溝の清掃を「水道浚え」として、春から梅雨にかけての時期に隣町同士で相談しあい、同時に清掃が行われていた。3)共同井戸も同様である。生活を支える空間が共(コモン)であり、日常的なコミュニティの場となり、共同でマネジメントすることで成り立っていた。都市インフラが共(コモン)空間であることは、必ずしも非合理的なことではなく、町衆が共同して作業を行うことで、近代的な上下水道が整備されるまでの間、数百年続く持続的な都市の姿を維持していたのである。衛生環境という視点に立てば課題がある水の事例も、共(コモン)であることが直接の課題であったわけではない。上下水道が、衛生面、利便性を飛躍的に向上させことは疑う余地のない成果である一方、日常的なコミュニティの場の喪失という課題も生んだ。

2040年の都市の姿を考える上で、その必要性を市民同士が互いに共有できる都市インフラを、共(コモン)な暮らしの場としてデザインすることで、 近代都市計画が生んだ新たな課題を解決しつつ、次の社会の姿を紡いでいくことができるのではないだろうか。


【図】共同井戸の井戸浚い4)※

“疎ら”が生む良さを持つまち

オーバースペックになった都市に対して、現在進んでいる対策の中心的なものは立地適正化政策といえるだろう。域内で一定程度の求心性を持つ核を維持しつつ、都市をコンパクトにデザインしようとする手法である。現実はそこまで極端ではないとしても、モデル的に立地適正化政策を整理すると同心円モデル的に捉えられる。料理で例えると、「目玉焼きを作ろう!」モデルという感覚に近いのではないだろうか。これに対比して、本稿で検討しようとするものは、「フライパンに卵を落として目玉焼きを作ろ!っと思ったけど、やっぱりスクランブルエッグにしよう。」モデルという感じの考え方である。調理法を後から変えたので、目玉焼きに比べフライパン全体に卵は広がってるし、黄身と白身が完全に混ざり合ったわけでもないけれど、“なんだか美味しい”。が目指すところである。縮小してエリアを縮めるのではなく、エリアはそのままに維持管理すべきインフラを疎らにし、共(コモン)空間を挿入することで、持続的で人が集まって暮らす豊かさを取り戻した郊外NTの姿について考察したい。

|疎ら化① 共(コモン)空間を住宅地に挿入するミニ再開発

郊外NTの街路の特徴は、概ね網目状に計画されている点である。この計画の大前提となるのが、「すべての敷地が街路に面していること」という考え方である。この前提条件を「すべての敷地から街路にアプローチできる」に変え、街区内に共(コモン)空間を挿入することで、高密度に網目状に計画された街路の再編できるのではないかという視点で思考実験を進める。

2040年の社会変化の想定は、①共(コモン)の必要性の再認識、②土地への執着の減少の2点である。NT計画時の時代の要請であった“個を尊重する社会”への変化だが、1995年阪神・淡路大震災、2011年東日本大震災、そして、2020年から続くコロナ禍という大災害を経験してきた我々の社会は、その災害それぞれで“ボランティア元年”、“地域コミュニティの再考”、“暮らす地域の再認識”と価値観の岐路に立つ経験をしてきている。2040年の社会では、こうした経験を踏まえ、地域の空間も過度な個の尊重から脱却し一定程度の共(コモン)の必要性が再認識され始めているのではないかと考える。次に、働き方が様々に変化してきた昨今、土着することは必ずしも生産活動とリンクしなくなってきている。縮退社会の日本において、こうした土地との結びつきの必要性の低下は継続すると考えられ、土地を所有することの価値や必要性が従来に比べ低下するのではないか。こうした社会の変化を踏まえると、近隣同士で共(コモン)空間を改めて持つことや接道面が小さいことによる不動産価値の低下といった事柄は、障壁としては小さなものになっていくのではないか。

この2040年の社会像に対して提案するケーススタディが「ミニ再開発」である。開発申請の必要ない単位での権利と空間の整理により共(コモン)を生み出す。ミニ再開発は街区単位で実施され、街区単位での接道を満たすことが求められることになる。挿入された共(コモン)空間は、広場や通路となり、街区内のコミュニティの場へと変わっていく。【図】ミニ再開発のフローのようなイメージである。

ミニ再開発により街区単位での接道道路を指定することで、街区の囲う4つの辺の道路の内、3つの辺はインフラ機能を備える必要がなくなる。インフラの維持管理に対して効率的な街路(以降、継続街路とする。)を事前に設定した上で、それ以外の街路については、ミニ再開発を連鎖させながら上下水道等のインフラ機能を廃止していく。長期的なスパンでミニ再開発を連続させることで、NTの街路網再編の実現を目指すことができるのではないか。

【図】ミニ再開発のフロー

|疎ら化② 市民でも手入れできる街路へ

次に、ミニ再開発により従来のインフラ機能を担う必要がなくなった街路をいかに転換していくかについても思考実験をしてみたい。

インフラ不要とはいえ、雨水処理や地中埋設物への経年変化への対応は必要となる。その課題を防ぐため、継続街路設定時に地中埋設物が閉栓の上、埋設存置が可能な街路を拾い出す。地中埋設物のメンテンナンスに対するリスクをなくした上で、地上部の清掃等の日常的で市民でも手入れ可能な作業だけで維持管理できる街路空間へと転換していくことを目指す。例えば、【図】街路空間の再編(雨庭)のような街路の雨庭化が一つの回答として考えられるのではないか。空間的な魅力の向上につながるだけでなく、多様な利活用の方策が考えられる。雨庭に庇的に太陽光パネルを設置し街区内のエネルギーの足しにすることや、小さな農園への転換も魅力的な活用法となるのではないか。

縮退期を進む我が国において、一定以上の人口密度や規模を前提としたインフラの在り方ではなく、疎らな密度や規模でも自分たちでメンテンナンスを継続できることは今後重要な視点となってくる。税金を払っていれば、自らの暮らす地域に注意を払わなくとも、自動的にメンテナスが進む時代は遠くない将来に転換されることになるのではないだろうか。

【図】街路空間の再編(雨庭)

DIY的マネジメントの可能性

共(コモン)な空間を挿入し、自分たち自身でメンテンナンスしながら住環境を育んでいくという提案は、現在の暮らしから考えるととても飛躍して、たどり着くことのできない未来のようにも感じる。特に、DIYという言葉を聞くとすぐに大工仕事や重労働がイメージされ、高齢化する社会の中で、DIYで管理していくなんて不可能だ!と指摘されてしまいそうである。しかし、DIY的マネジメントにも多様な手法があるのではないだろうか、本稿で思考実験として提案した二つの突拍子もない考え方のベースにあるDIY的マネジメントについて考える。

|DIYの“ Y ”の単位

DIYは、Do It Yourselfの略であるわけだが、YourselfのYouの設定によって、実態は大きく変わってくる。雨庭を例にとって考えると、一戸建てての庭に雨庭を造った場合、You=家主(一人)となり雨庭の管理は家主が費用や労働を負担して、一人で行う必要がある。一方で、集合住宅の共用部として雨庭を整備すれば、You=管理組合(複数人)となり、費用や労働の負担をみんなで分けられる。それだけでなく、労働はみんなで楽しむイベントに設えれば、新たな価値の創造につながる可能性もあるわけである。私たちは、DIY的と聞くと、一人で体を動かして管理することをイメージしがちであるが、それ以外の選択肢だってあるのである。思考実験で提案したような街区の住民というYの単位、もう少し広がりを見せNT全体のYという単位だってありえるのである。今後の都市のマネジメントは、単に税金を納めて公に依存するのではなく、暮らしに求める環境を共有できる“自分たち”=“ Y ”で育むという視点が重要であり、その“ Y ”をどのような単位で構成するかを考えることが重要な視点となるのだと考えている。

|ドイツのシュタットベルケと日本でのDIY的マネジメントの兆し

ドイツでは、シュタットベルケという都市公社が存在する。シュタットベルケは都市に関わる複数の事業を行うことで、都市に必要な機能だが不採算な部門(例えば、過疎地域のバス事業など)を収益性の高い事業(例えば、情報技術分野など)の利益により持続的に運営させている。また、シュタットベルケは歴史的にも各都市の水道事業を担ってきたという経緯もあり地域に根差した公社として、市民の信頼度も高い。採算部門と非採算部門を併せ持つことで、地域内の資金循環にも寄与することができることも注目される点である。日本では、みやまスマートエネルギー(株)が日本版シュタットベルケの先駆事例として注目されている、電力小売り事業から生活サービス事業へと事業を展開しており、採算性の高いエネルギー事業を起点に地域での多様な事業展開を目指している。また、神奈川県住宅供給公社が団地再生を進める神奈川県若葉台団地の一般財団法人若葉台まちづくりセンターも地域公社としての活動の可能性を示している。団地内の分譲住宅の不動産取引や分譲集合住宅の管理の受託等の採算事業をベースにコミュニティバスの運行など地域サービス事業に取り組んでいる。

シュタットベルケや例示した日本の先駆事例に共通することは、スケールは多様であるが地域に根差し公益的に事業を展開する公社であるという点である。大都市の大企業が一括でインフラをマネジメントするのではなく、地域のインフラを地域に根差した公社が支える構図もDIY的マネジメントの一つの形と言えるのではないだろうか。シュリンクするプロセスの中では必ず非採算事業が発生してしまう。「ミニ再開発」において考えると、空き地の一時取得がそれにあたる。こうした非採算事業を公的資金に頼るのではなく、地域公社の収益でも賄い、こうした事業を通じエリア価値の維持させることが公社の安定的な経営にもつながるような循環を生み出すことが持続的な郊外NTのマネジメントにつながっていくのではないかと考える。

【図】シュタットベルケの構成5)

おわりに

本稿では、郊外NTが抱える空間的な課題解決とそのマネジメントの担い手を検討することで、そこに暮らし続けられるライフスタイルを考察した。人の営みの場である都市が、時代の変化の中で機能主義的に計画され始め、その集大成としてNTがあるのではないだろうか。しかし、本来、人の営みとは、多様で、複雑で、非合理な要素を内包しているものである。合理性だけでは語れない豊かさが必要だということは、少しずつ社会の中でも気づき始められている。都市のこれからを考える上では、非合理であっても、すでに出来上がってしまった都市をうまく疎らにして、自分のまちに暮らし続けられる当たり前を作るという視点も必要なのではないだろうか。

【補注】
*画像は国立国会図書館デジタルアーカイブ所蔵データを掲載用に筆者が修正

参考文献・資料

1) 国土交通省(2014)「インフラ長寿命化計画(行動計画)」
2)国土交通省社会資本整備審議会道路分科会基本政策部会(2020)「2040年、道路の景色が変わる~人々の幸せにつながる道路~」
3)大阪市建設局(2007)「大阪市の下水道 No.26 太閤(背割)下水」
4)北尾重政(1768)「日本風俗絵図‐繪本世都之時‐」(所蔵:国立国会図書館デジタルアーカイブ)
5)国土交通政策研究所(2021)「インフラ・公共サービスの効率的な地域管理に関する研究」