自給する共同体:中央管理から分散自律へ
衛藤 彬史(兵庫県立 人と自然の博物館)
社会背景
|行財政の縮小による公共インフラの維持管理問題
国内において人口減少が及ぼす影響と課題の1つに、行財政の縮小による公共インフラの維持管理問題がある。
全国的な人口減少に伴い、ほとんどの地方で行財政がますます悪化する中、公共インフラの維持・管理にかかる費用負担が課題となっている。道路・水道・電気・公共交通といったいわゆる公共インフラの維持・管理に加えて、高齢化の進展もあり、社会福祉に関する現役世代の負担割合も高まっている。
こうした課題は、医療費の拡大や公共施設の老朽化等を主な背景としたコストの膨らみに加えて、生産年齢人口割合の低下により今後加速度的に進展するため、対応は急務である。
|進む選択と集中~公費投入の選択から外れた地域で「いかに豊かに暮らすか」
人口減少社会において、引き続き上下水道や電線網、道路等の維持管理における省力化技術や、機能縮小を前提としないコスト削減手法の開発が望まれるが、こうした技術革新・手法が課題を解消する程度まで発達・普及しない場合、行財政効率化の観点によるコンパクト化(都市機能と居住の誘導・集約)が現実味を帯びてくる。いわゆる選択と集中の考え方であるが、すでに、災害リスクのある市街化調整区域への新たな宅地開発を認めないことによる居住誘導をはかる制度が動いており、防災を盾にしたきわめてラディカルなコンパクト化推進法案も施行の見通しとなっている。地方自治の観点において、地方自治体は各地の運営を任されているとしながらも、こうした制度運用は土地利用のあり方を全国一律に定める性質のものであり、そのまま適用すれば、居住地の自由に制限が出る点、また狭い国土をさらに狭く利用する点において、運用面で課題の多い制度であるといえる。
特に、多自然地域においては、テレワークの拡大や環境配慮に関する意識の高まりと合わせて、とりわけ若い世代を中心に、居住環境・生活環境としての「田舎」を再評価する動きが出てきている。こうした地域での生活は、従来の市街化区域、市街化調整区域の枠組みには収まらない住民福祉の増進に多分に寄与しうるポテンシャルを秘めている。
一方で、市街化区域への居住誘導が進めば、多自然地域での居住は選択しにくい状況となる。その結果、急進的であれ緩やかであれ、コンパクト化が進めば公共インフラの維持コストはたしかに抑えられるであろう。しかしながら、果たして住民福祉は増進するだろうか。もちろん、コンパクト化の流れにおいても、すべてを都市にまとめるということでなく、各地で集約した拠点をつくり、ネットワーク化することが想定されているが、それが一極であれ多極であれ、言うまでもなくまとめることが善という発想に立つものであり、中心市街地活性化法に基づく地域づくりの実践において、成功事例が1つもないということの反省がまったく活かされていない。田園回帰と呼ばれる動きの中で、多自然地域で人口の社会増が発生しているエリアは、決して地方における中心市街地ではない1)。
本稿では、今後、国策として一定程度市街化区域への居住誘導が推進されるという前提に立ったとき、そうした未来における多自然地域で豊かな生活を送るための条件整備について、想像してみることにしたい。
豊かな暮らしと村の未来
|オフグリッド住宅の可能性
農村部における公共インフラの低整備な状況はこれまでも存在した。上下水道や高速道路の普及期には利便性格差、インターネットの普及期にはデジタルデバイド等というかたちで地域間格差が社会問題として取り沙汰されてきた。そしてようやく隅々まで普及したといえる公共インフラが、人口減少期においてその持続的な維持管理に課題を抱えている。
全国的に人口が下降し始める2008年以前より流出による人口減少の進む地方部では、すでに公共交通サービスは質的に低下してきており、マイカーに過度に依存した移動が主流となっている。いわば毛細血管のように張り巡らされた公共インフラの末端部分から、今後はバスや電車等の交通網と同様に、電気、ガス、水道、道路といったあらゆる公共インフラ網にも選択と集中の波は及ぶだろう。
市町村別の水道料金で上位を独占する北海道では、水道存続の危機がいち早く迫っている。水道事業は独立採算が原則だが、値上げを繰り返すもすでに料金収入で運営経費を賄えず、一般会計からの繰り入れなどにより赤字を埋めている。高コストの要因は給水戸数あたりの管路延長が長くコストが割高となるためである。人口密度の低い北海道の抱えるこうした課題は全国に先行しており、今後料金の値上げや赤字補填に踏み切る自治体の全国的な増加が予想される。水道インフラの維持にかかるコスト負担の増大が全国的な課題となり、事業広域化やコンセッション方式の導入検討が進められる中、北海道でのさらなる工夫や挑戦は、人口減少時代における水道インフラの解決モデルの1つとなり得るだろう。
他方、徳島県は下水道普及率が全国最低であるが、県内の山間部の多くでは生活排水は合併浄化槽を用いて処理される。また、湧水や地下水が生活用水として利用されている地域もあり、そこでは上下水道を前提としない暮らし方があり、取水作業が生活様式の中に組み込まれている。
上下水道がライフラインとして当たり前となった現在、そうした地域はかつてインフラ後進地域として、そうした地域での生活は不便で不衛生なものとして捉えられがちであったが、持続可能性や循環型社会への関心の高まりを背景に、その位置づけは変わりつつある。
同じく徳島県・美馬市では、2018年にアースシップ美馬が建設された。アースシップ(Earthship)はオフグリッド住宅の規格として世界に約3,000棟存在するが、アジアでは唯一、国内第一号の事例である。
屋根上での雨水貯留(アースシップ美馬)
アースシップでは雨水貯留による水利用だけでなく、住居内の電力はすべて太陽光発電により賄われている。また、廃タイヤを外壁に活用した室内環境により、年間を通して室温が21℃前後に保たれているため、冷暖房の要らない居住性能を備えている。設備は水洗トイレに家庭菜園を備え、高い居住快適性を維持している。
オフグリッドといえば、かつて環境負荷低減と居住快適性は両立せず、やや思想的な色合いが強く、住居や暮らしの快適性を度外視したなかば信仰ともいえるような考えの持ち主(いわゆる変わり者)が実践可能な生活スタイルであり、一般に真似できないというイメージが強かった。しかし、蓄電や浄水等に関する技術の進展により、快適性と環境配慮が暮らしの中で両立できるようになってきている。
|活発化する生産消費活動
近年DIY商品の売上げは好調である。この傾向は日本だけでなく、先進諸外国にも共通している。こうした動きを「DIY市場に商機」とのみに捉えれば潮流を見誤る。生産と消費のあり方における変化の兆しと捉えるべきである。未来学者であるトフラーはその著書の中で、「生産消費者(Prosumer)」という概念を登場させ、これからは新しいかたちで生産消費者が復活すると予想した2)。生産消費者とは生産者(producer)と消費者(consumer)とを組み合わせた造語であるが、近年になり人々の活動はますますその様相を帯びてきたように感じられる。
消費に適した場所が都市ならば、生産に適した場所が農村である。生産の喜びや楽しさを享受できる人にとって、田舎は過ごしやすい場所である。人口減少は悪い影響面ばかりがフォーカスされがちだが、1人あたりが使える面積(土地)が広くなる点、活用可能な地域資源が余る点等で良い影響もある。狭い国土をより狭く使う制度が中央国家により進められるのであれば、選択から外れたエリアを広く豊かに使うことを楽しむ人々がいても良い。
そして水道や電気などの公共インフラをあらゆる地域で維持できなくても、電気も水も自らで生産可能な未来はすぐそこにある。
分散自律社会のコミュニティ
|自助・共助・公助から紐解く地域とコミュニティ
では、自律的な住居や生産消費活動がますますさかんになった地域では、どのようなコミュニティが形成されるであろうか。説明の簡素化という点から、ここでは自助・共助・公助という枠組みを用いてコミュニティのあり方に関する記述を試みたい。しっかりとしたデータに基づく説明ではなく感覚的な記述となっているが、下記2つの事例はコミュニティのあり方を読み解くヒントになるだろう。
和歌山県の南東部に位置する古座川町潤野は、気候も良く住みよい地域であるが、台風の通り道となることが多く、頻繁に水害を受ける地域でもある。中でもひどい被害の年には、多くの家が床上まで浸水した。自分たちの家の片づけがひと段落したころ、住民が集まり浸水した公民館の掃除にかかり、そこには県や町の職員も集まって手を貸した。公務員としての業務で来たというより、知り合いが困っているのを助けに来たというような印象を受けた。水害に慣れているせいか、住民たちは比較的落ち着いているように見えたが、凄まじい光景であった。
ところ変わって、2019年10月には東京・武蔵小杉で浸水被害が起きた。一部のタワーマンションでは電気系統の浸水により、停電や断水等の被害が生じ、トイレの使用自粛と簡易トイレの支給という対応がなされた。その際、使用自粛ルールを破る上層階の住民がいるのではないか、といった猜疑心等から住民間の対立が強まっているとも報じられた。その後2021年には被害を受けた住民で構成される原告団が損害賠償を求めて市を相手取り集団提訴した。同じ水害でも、住む人たちによる対応の違いを感じさせられる。
こうした違いを環境心理学的に読み解けば、公助の手薄な(衰退した)環境で、自助や共助が生じるといえるのではないか。すなわち家の前の道路や地域の共有施設を公共が管理するのが当たり前なのか、自分たちで管理するのが当たり前なのかは、住む環境で決まる部分もあるのかもしれない。
近くに集まって住んでいれば、そこでコミュニティが生まれるとは限らない。まずは自分たちのことを自分たちでできた上で、協力や連携、助け合いや相互扶助が求められる暮らし方をしていれば、コミュニティは育つといえば単純化しすぎであろうか。
|自律型社会のコミュニティ
自律型社会のコミュニティを考えたとき、使用の分配等を考えれば水や電気については一世帯に一つ自給するしくみを自前で持ち、競合しにくい装置やしくみを共有で使用するような緩やかなコミュニティが形成されるのではないかと想像している。
たとえば、石窯を持っている隣人に、器を焼かせてもらったり、その人が主催する石窯でピザを焼いて食べる集まりに参加したり、趣味で大型の天体望遠鏡を持っている人が子どもたちに星を観測させてくれたり、はたまたユンボを持っている隣人に土木作業をお願いしたり…。
依存ではない頼り合う関係性は、自律の上に成り立つ。自助と共助があった上での公助である。分業と貨幣経済が進んだ先に、ひと任せではない自律と互助の精神を育てるのは、公助の衰退した環境かもしれない。たとえ今のかたちの公共インフラが途絶えても、自律と互助の精神を持った人々の集う村の未来は明るい。
参考文献・資料
1) 総務省(2018):「田園回帰」に関する調査研究報告書
https://www.soumu.go.jp/main_content/000538258.pdf
2)アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー『富の未来』、山岡洋一訳、講談社、2006年