ノイズのあるリアルな幸せ

吉野和泰(京都大学)

はじめに

新型コロナウイルス感染症拡大を契機にzoom等のウェブ会議ツールが急速に普及した.人と人が対面しない状況下でのコミュニケーションの難しさに試行錯誤の日々であったように思う.このことは,今後の都市のあり方を考えるうえで重要なターニングポイントとなった.すなわち人々はデジタル空間の存在を,実像を伴ったものとして明確に意識し,リアルな空間との関係性について思索し,リアル/デジタルのバランス感覚をベースに各々のライフ/ワークスタイルを考え始めるようになった.

更なる技術革新が進み,利便性と合理性が追及され尽くした時代において,実際のリアルな都市に暮らす面白さはどのように捉えられるだろうか.これを情報化社会へのアンチテーゼとして安直に「偶然/偶発性の存在」一言で済ますのではなく,その正体をいま一度じっくりと考えてみたい.

デジタル空間が失ったノイズ

2040年のデジタル空間におけるコミュニケーションを想像すると,3つの要素が欠損する可能性が考えられる.1つ目は人と人との位相関係の情報,2つ目は同時多発的なレイヤーの存在,3つ目は無目的な人・モノ・コトとの出会いである.

位相関係の情報とは,簡単に言えば「上座下座」の概念である.人と人とのコミュニケーションにおいて「ノイズ」となりうる距離のムラが均一化されることで,誰もが“平等”に会話に参加でき情報にアクセスできるようになる.しかし,距離にムラがあることで生じるちょっとした仕草にも,実は膨大な情報量が詰まっている.例えば人同士の精神的な距離感や,話題への興味関心の程度など,顔の表情のみでは十分に読み取れない「人情味」が確かにある.これらを欠いたコミュニケーションは,長く続けていくと無味乾燥なものに感じられるだろう.

同時多発的なレイヤーとは,例えばグループで議論しているときに小声で隣の人と話すような,同時に複数のコミュニケーションが両立している状態である.さながら大木のように,議論の根幹となる大きな方向性と,それに関連する大小様々なアイデアの枝葉が有機的に結びつき重なり合うことで,全体として豊かなコミュニケーションが実現する.この複雑性を担保し「ノイズ」を許容するような仕組みをデジタル空間で実現することは依然難しい.

さらに,デジタル空間でのコミュニケーションでは,空間に没入する時点で何かしらの目的を有している.ユーザーの利便性や操作快適性のために目的に応じて必要な情報が取捨選択され,意味がないと判断された「ノイズ」は徹底的に削ぎ落されていく.ここにはいわゆる「無用の用」のような繊細さはなく,無目的に遭遇し,観察し,理解を深めていくという本来の意味での「偶然の出会い」は生じにくい.

このようにデジタル空間では,生活の中にありふれている,ともすると利便性や合理性を阻害することもある,あらゆる「ノイズ」が排除される.しかし元来,人と人との活き活きとしたコミュニケーションには必ず何かしらの「ノイズ」があり,それをも楽しむ余裕をもって生きることが豊かさであり,幸せであったように思う.2040年のリアルな都市に求められる役割は,まさにこの「ノイズのある幸せ」を如何に実現するか,にあると捉えることができる.

サービスとしての道路利活用

上述のような「ノイズ」を受容できるリアルな場として,都市の道路空間を思い浮かべる人が多いだろう.実際,近年盛んに議論されている道路空間の再編計画は,単に車道から人のための空間(広場)へと機能転換するのみならず,人との出会いや機会創出の場としていかに道路を使いこなし,ストリートカルチャーを育むか,という点に主眼が置かれている.(例えば,京都・三条通のみちまちづくりなどhttps://saas.actibookone.com/?cNo=97927&param=MV8zXzc=&pNo=1)一方で実際の事業では,例えば交通管理者との協議において道路使用許可を得ることが難しく利活用のための制約も多い.また,路線単位での許可申請のためには,沿道住民や商業者などステークホルダーとの合意形成に膨大な時間と労力を要することが多く,推進する体力・耐力のある一部の自治体に限られているという実情もある.

これを打開する1つのアプローチとして「スポット/車両単位での道路占用/使用許可制度」の導入が考えられる.2040年には自動運転技術の発達・普及を背景に,時・空間的により細やかに交通管理を行うことができるようになる.例えばアプリを通じた利用者×スポット(道路)のマッチングと,それに応じた周囲の交通規制の柔軟なリアルタイム変更により,誰でも思い立ったときに気軽に路上ビアガーデンを開くことができるようになる.道路を(半)私的に利活用できることが都市のサービスとして位置付けられ,あらゆる人が主体的に道路を使いこなすようになる.この際,現在は道路附属物として固定されているファーニチャー(パブリックベンチ,テーブル等)にも車輪がついて可動式となり,柔軟に管理・運用されることが考えられる.軽車両となった什器=『どこでも什器』が都市を縦横無尽に走り回る中,TPOに応じて必要な数を取り寄せ,組み合わせ,快適な滞留空間を設えることができるようになる.これら一つ一つに占用・使用許可が紐づけられ,例えば「どこでも什器とその周囲半径1m」といった細やかな範囲設定が可能となる.

都市のリビングスペース化

どこでも什器はその名の通り,道路のみならず,沿道の建物にも自由に出入りする.働き方の多様化を背景に増加する建物内の余剰床は,(半)公的な利活用の受け皿としても貸し出されるようになる.例えば,会議室の中から廊下,エレベーターを通って玄関先の公開空地まで,どこでも什器が一体的に連なり,人々は天気や気温に応じて自由に建物内に入り休憩することができるようになる.あるいは空いている屋内スペースを使って即席の公開サロンを開催することもできるかもしれない.

図1 どこでも什器の利用イメージ
図2 公共空間の什器・インスタレーション
(https://enormestudio.es/mountain-on-the-moon)

このように,道と建築が公私の垣根を越えてシームレスにつながることで,都市全体が一つの大きな利活用の器=リビングスペースとなる.これを市民がお互いに配慮を以てシェアしつつ,自由な発想で試行錯誤しながら,カスタマイズしていく.必ずしもいつも都合よく空間を利用できるわけではなく,時には予期せぬアクシデントに見舞われることもあるだろう.しかしここには確かに手作り感のある賑わいがあり,偶然の出会いがある.

わくわくするノイズと共に今日も一日が始まる.